形成外科からの独立
そして美容整形・美容外科は、形成外科が医療として確立していった第二次世界大戦後の欧米において、「より美しく」という欲求の高まりに合わせ、1960年代より、次第に形成外科から分離・独立していくことになります。また、戦後日本の美容整形技術も、形成外科技術の進捗に合わせて、進歩の速度を増していきました。敗戦によるコンプレックスなどを下敷きにした、ヨーロッパやアメリカに対する強い憧れを抱く日本人が急増し、欧米の生活スタイルを取り入れるのみならず、欧米人たちの、はっきりとした目元や、高い鼻、彫りの深い顔立ち、すらっとしたスタイルを求める人々が多く現れたのです。
日本美容外科学会創設
それによって業界は、瞬く間にそのシェアを拡大していきました。1968年には、美容外科が正式の診療科目として認められ、1977年には日本美容外科学会が創設されました。戦後発達した形成外科の技術から枝分かれした、この日本美容外科学会は、「Japan Society of Aesthetic Plastic Surgery」の頭文字をとって、「JSAPS」と呼びます。
2つの日本美容外科学会
なぜこのような回りくどい説明をしたかといえば、実は「日本美容外科学会」という名の団体がもう1つあるからなのです。こちらは、昭和初期にヨーロッパから入ってきた技術を元に連綿と続いていたのを元にしたもので、「Japan Society of Aesthetic Surgery」の頭文字をとって、「JSAS」と呼ばれています。そして、こちらの日本美容外科学会の元になったのが、まだ美容外科という診療科目もない時代から研究を重ねてきた、日本最古の美容整形病院として有名な十仁病院です。十仁病院は1938年に新橋に開設されています。
