古代文化の東西交流

最古の形成外科手術が執り行われた紀元前6世紀から4世紀にかけて、ペルシアが、東は北西インドのガンダーラやインダス河流域、西はマケドニアやエジプトに渡る大帝国を築き上げました。さらに紀元前326年には、古代マケドニア王国のアレクサンドロス大王がインダス河に遠征します。それによって、ギリシャ文化とオリエント文化が融合し生まれたヘレニズム文化が、北西インドに出現し、ガンダーラ美術に大きな影響を与えるなど、盛んな文化の東西交流が行われていきました。おそらくはススルタの外科手術と、それに必要な知識や医療器具なども、それらの文化とともに、ヨーロッパ全域に広まっていったに違いありません。

美容整形の進歩の停滞とルネッサンス期

その後、はっきりとした理由は判明していませんが、おそらくは宗教的な自由において、形成外科の知識は中世において停滞を余儀なくされます。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチが死体を盛んに解剖し、人体の皮膚の下、骨格や筋繊維の構造をデッサンしていた時代でもある、ルネッサンス期の1597年、イタリアのタリアコッティが形成外科の教科書を著しました。

二度の世界大戦戦争と急激な進化

美それからは、19世紀までに、形成外科の分野は着実に技術的な進歩を遂げていき、欧米では美容整形の原型が固まっていきました。そして皮肉にも、2度の世界大戦を経て、形成外科は医療として確立されるに至る、劇的な進化を遂げることになります。戦傷を追い、体表の機能を損なうなどした兵士たちを救うために、人々はそれまでとは比べ物にならない速度で、技術を進化せしめたのです。